こんにちは
『誘導瞑想クラブ』のゆきちゃんです。
わたしは誘導瞑想やアファメーションの動画を作って
YouTubeチャンネル『誘導瞑想クラブ』で公開しています。

『誘導瞑想クラブ』に『インナーチャイルドを癒す』というアファメーション動画があります。
この動画ではあなたの中にいるインナーチャイルドに向けて
「いい子だね。大好きだよ。えらいね。えらかったね。ひとりでよくがんばったね。ひとりでよくがんばってるね」
と語りかけています。
今回は、この動画にいただいたあるコメントを読んでわたしが思ったことをおはなしします。
もくじ
むかしのわたしも同じようなこと思ってた

以前、アファメーション動画『インナーチャイルドを癒す』にこのようなコメントをいただきました。

人間関係で悩むことが多く、インナーチャイルドが癒されてないということが原因と知り誘導瞑想などをしていくうちにこちらに辿り着きました。
こちらのアファメーションを素直に受け取れない自分がいて、今さら何言ってるの?そんなわけないじゃん、とイライラしてきてしまいます…このまま聞き続けていけば変わっていくのでしょうか
はじめにおことわりさせていただきますが、このコメントをくださった方に対してわたしは
「こうすればいいですよ」
というような、明確なアドバイスとかこたえはお伝えできません。
これからおはなしするのは、あくまでも、わたしの超個人的な感想にすぎません。
あらかじめご了承くださいませ。
いただいたコメントを読んで思ったのが
「あー、むかしのわたしも同じようなことを思ってたなー」
です。
むかしのわたしがこの動画を見たら、このコメントを下さった方と同じような感想を持ったと思います。
「いまさら何言われたって子どものころに親に受けたひどい仕打ちは変わらないし、人生やりなおせないし、どうにもならないんだよ、どーせわたしは幸せになれないんだよ、なにも知らないくせにうわっつらの口先だけでてきとーなきれいごとぬかしてんじゃねえよ」
と、めちゃくちゃ反発したことでしょう。
そんな、むかしのわたしが反発するような動画を、いまのわたしは100%おおまじめに作っているわけです。
いまのわたしはこんなふうに思ってます

いまのわたしは
「いまさら何言われたって子どものころに親に受けたひどい仕打ちは変わらない」
に対しては
「親に受けたひどい仕打ちは変わらないけど、そのひどい過去にとらわれずに過ごすことはできる」
と思います。
「人生やりなおせない」
に対しては
「本人がその気になれば、人生いくらでも何歳からでもやりなおせるし、遅すぎるということはない。
何もしようとせずに「人生やりなおせない」で終わらせてしまうのは怠慢にもほどがある」
と思います。
「どうにもならない」
に対しては
「ものごとはいくらでもどうにでもなる。
現実はけっして堅固な強固な固定されたものではなく、つねに不安定にゆらいでいるので、いくらでもどうとでもなる」
と思っています。
「なにも知らないくせにうわっつらの口先だけでてきとーなきれいごとぬかしてんじゃねえ」
に対しては
「ものごとをすなおに受けとることができない、余裕のない自分に気づいてあげようね」
と思います。
「どーせわたしは幸せになれない」
に対しては
「本人がその気になれば、いくらでも幸せを感じることはできる」
と思います。
生きるのがつらくてつらくてたまらなかった

むかしのわたしはこんな状態でした。
・承認欲求のバケモノ
・欲求不満のかたまり
・劣等感のかたまり
・ネガティブ思考のかたまり
・自分に対する抑圧としめつけがひどい
・自分の内側でつねに自分を責めつづけている
むかしのわたしは生きるのがつらくてつらくてたまらなかったのですが、そりゃあこんな思考回路かかえていれば、納得のつらさです。
いまのわたしは
「生きるのがつらくてつらくてたまらない」
とは思っていません。
だからといって
「人生ってすばらしい!
まいにちハッピー!
すべてに感謝!
いのちに感謝!」
と思って過ごしているわけでもありません。
朝起きるのはだるいし、
「わたしなんでこんなことしてるんだろ」
「わたしの人生なんなんだろ」
「わたしってしょーもな」
と思うこともしょっちゅうです。
それでもむかしの自分のような
「親が憎くて憎くてたまらない。
わたしの人生がうまくいかないのは、子どものころの家庭環境のせいだ。
わたしの人生、もう、これからこのさき一生うまくいくことないんだ、わたしがわたしであるかぎり、わたしは人間失格なんだ、きーーーっ」
みたいなことは思っていません。
そして、むかしの自分がいまのわたしを見たら
「ぜんぶうらやましい!!」
と思うと思います。
むかしの自分から見たら、いまのわたしはすさまじい変貌をとげているように見えると思います。
そして
「どうやったらそうなれるの、おしえて!!
わたしをこの苦しさから救って!!」
と渇望すると思います。
とはいえ、いまのわたしはむかしの自分に対して
「これをやればいいよ」
というような、特効薬的なアドバイスはできません。
特効薬的なアドバイスはできないけれど、それでも強いてなにか言うとしたら。
今思えば、あれが人生の大きな分岐点だった

いま思えば、あれが人生の大きな分岐点だったなー、と思えるできごとがあります。
そのできごととは、ある日
「親への恨みつらみでこりかたまった生き方はもううんざりだ、こんな生き方はもうやめる!」
と、腹の底から決意したことです。
それまでずーっと
「親が憎い親が憎い親が憎い、わたしの人生がうまくいかないのはぜんぶあいつらのせいだ、憎いゆるせない、ゆるせたらラクになるんだろうなあ、ゆるせればいいのに、でもゆるせない、なんでわたしがあいつらをゆるしてやらなければいいけないんだ、ゆるせるわけない」
という思いでがっちがちで苦しかったのですが、もうこんな思いを抱え続けることに、ほとほと嫌気がさしたんですよね。
心底、いやになった。
いつまでもこんなことをくりかえすことに、自分でいやになった。
だれに何いわれたわけでもなく、ある日ふと、とにかく自分でいやになった。
で、
「親への恨みつらみでこりかたまった生き方はもううんざりだ、こんな生き方はもうやめる!」
と決意したわけです。
「もうやめる!」
と決意したはものの、やめるために何をすればよいのか、とか、自分はどんな人生を歩みたいのか、とか、そのときはなにもわからなかったです。
また、決意したからといって、それからいろいろうまくいくようになった、というバラ色の急展開になったわけでもありません。
意識が明らかに切り替わった

ただ、いま思えば、「もうやめる!」と腹の底から決意してから、わたしの意識が明らかに切り替わりました。
当時の自分は自覚できていなかったけれど、意識、思考、言動、行動のすべてが
「いままでとはちがう生き方をする」
という方向にしぜんと照準が定まりました。
そこから、それまでの自分とは異なる意識、思考、言動、行動がすこしずつすこしずつ、何年もかけて積み重なっていったら、かつての自分とはぜんぜんちがう自分に変容していた、という感じです。
けっして一足飛びに変容できたわけではなく、時間もお金も労力もめちゃめちゃかかりました。
それでもいま、「むかしに比べたら大きく変容した自分」を生きているのは、とてもふしぎです。
こんな自分になりたいとか、こんな未来を生きたいとか、考えたこともなかったけれども、それでもまあこういうのもありかな、と思います。
そして、まだまだこれからもわたしは変容していくだろうから、いろいろわけわかんないままだけどまあいいか、みたいに思ってます。
行きつく先は「凡庸」

いまつくづく思うのは
「わたしって、ほんとうに凡庸な人間なんだなー」
ということです。
むかしのわたしは被害者意識と恨みでがっちがちにかたまっていたから、自分がどういう人間か冷静に見ることができなかったんですよね。
で、いま、あらためて冷静に自分を見つめると
「考えることも凡庸、感性感覚も凡庸、行動も凡庸・・・」
と思うわけです。
「生きることがつらくて苦しくてたまらない」
という状態からたくさんのお金と時間と労力をかけて、行きつく先が「凡庸」か・・・と思うと何ともいえない気分になります。
さいきんのマイブームは、この何ともいえない気分、です。
でもいずれそのうちこのブームも過ぎ、自分自身にさらなる新たな一面を見出していくのかなあ、などとも思います。
あなたはだいじょうぶ

なんだかぐにゃぐにゃしたとりとめもない長文になってしまいました。
とにかくいえるのは
「現実は、決して固定され堅固なものではなく、不安定にゆらいでいるから、いくらでも変容する」
ということです。
そしてその変容のカギを握っているのは、
「あなたのすなおな本気、本心」
です。
自分の「すなおな」「本心」「本気」を受け容れれば、あとは状況が勝手におぜん立てしてくれますよ・・・という感じです。
損得を計算せず、結果を気にせず、秘密をひとりで抱えこまずに、やっていってみましょうよ。
現実はいくらでも変容していく、自分自身も自分の人生もいくらでも変容していく、その可能性を、心を開いて受け容れていきましょうよ。
あんまり深刻にならずともだいじょうぶですよ。
という感じです。
だいじょうぶだよ、ほんとに。
だいじょぶ、だいじょぶ。
だいじょうぶ。
アファメーション動画『インナーチャイルドを癒す』
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