気づき

「子どものころに自分らしさをのびのび出せなかった」おかげで、自分の才能や魅力が守られることもある

宮城県・松島の円通院(えんつういん)へ行ってきました。

円通院は、伊達政宗の嫡孫・光宗公の菩提寺です。

光宗公の霊廟・三慧殿(さんけいでん)は、国指定重要文化財です。

 

↓奥の木造の建物が三慧殿です。


三慧殿のなかには、色鮮やかな厨子があります。

厨子の写真(円通院HP)

厨子は何百年もの間、三慧殿のなかに隠されていました。

 

ガイドさんいわく

「閉じて隠しておいたおかげで、厨子の色が美しいまま保たれた」

とのことです。

 

この話を聞いてわたしは

「そーなんだよなー、表に出ない、というのは、その魅力や才能を保ち続けられている、ということでもあるんだよなー」

と、深く感じ入りました。

 

子どものころに養育者から攻撃やいやがらせや厳しいしつけを受けたことにより、「自分」をのびのびと表に出せなかった・・・というのは、一方で、その人の魅力や才能が、内側でだいじだいじに守り続けられていた、ということでもあるのです。

 

なので、養育者から受けた理不尽な仕打ちは、悲劇にしようと思えば悲劇にできるし、理不尽な仕打ちのおかげで「内なる宝」を本人の深いところで何十年もだいじに守ることができた、ありがたい経験にもできるのです。

皮肉でもなんでもなく。

 

小さいうちに才能を発揮したはものの、本人が自分の才能をコントロールできずに振り回されてしまったり、子どものうちに燃え尽きてしまったらもったいないから、そうならないように、子どものころは「理解のない養育者」のもとで、才能をだいじに隠しておくことにしたのね・・・ということです。

 

まあ、「自分の魅力・才能」を自分のなかの深ーーーいところに厳重に隠しすぎたために、見失ったまま何十年も過ごしてしまう・・・という可能性もありますが、でもねー、やっぱり最終的にはどこかで気づくようにできていると思うのです。

ちゃんと自分で目覚ましをセットしてる。

 

人生は「悲劇」「不運」「もう遅い」なんかで、かんたんに片づけられるような、そんな底の浅いもんじゃないですね。

本人がその気になれば、いつでもいくらでも一瞬でひっくり返ります。

年齢とか、つらい過去とか、じつはいいわけにはならなかったりします。

 

円通院のお庭。